釣竿を手にした浦島太郎をご神体とする浦島山は、天明7年(1787年)の行列帳に記載され、この頃に建造されました。
浦島山の天水引は、中国清朝の皇族クラスの官服原反を水引に仕立てたもので、中国から樺太経由で松前藩にもたらされた蝦夷錦と呼ばれる高級錦です。この水引は、京都に出て成功した熊野忠兵衛が、見送り幕とともに寛政11年に寄付したものです。
また亀岡祭では、祇園祭に次いで朝鮮毛綴を多用しますが、そのほとんどは裁断して縦継ぎにしています。そのなかで、浦島山の胴幕は「玉取り獅子」文様で完全な織物の状態で伝来する貴重なものです。
山飾りがしばらく途絶え、会所での部屋飾りとなっていた浦島山が、平成5年、町民の熱い想いと結束により復活し、現在に至っています。